2009.07.01(2018.06.27 更新)
- 2009年
- 身近な探検 湧き水さがし!
【自然しらべ2009】結果のまとめ
調べる対象:湧水
まとめ ~湧き水しらべの意義~
自然しらべ2009学術協力者/小泉武栄
はじめに
2009年度の日本自然保護協会の自然しらべのテーマは「湧き水」であった。このテーマはきわめて時宜に適したものであったと、私は考えている。
湧き水への関心は近年、とみに高まりつつある。1985年の「名水百選」の選定がそのきっかけになったようだが、その後も「平成の名水百選」の選定が続くなど、一種の湧水・名水ブームが続いている。『○○の湧水』、『○○の名水』といった本の出版も夥しい数に上っているし、名水や湧水を訪ねるツアーも行われている。湧水や滝、渓流など水の作る風景は、景観としても美しいものだから、世の人が美しい景観や癒しを求めてそこを訪ねるのも当然のことといえよう。
湧き水はわが国では古くから大切にされ、火山山麓などに突然現れる湧き水やそれに付随する池には、ご神体にされたものも少なくない。また各地の湧き水の中には、現在でも神社や寺の池として保護されているものが多い。
しかし、湧き水の価値はそれにとどまらない。湧き水は全国に分布しており、その有無や多寡によってその地域の土地利用や植生分布が左右されるなど、いわば地域の自然環境全体を象徴する存在となっている。また湧水は1年を通じてほぼ一定の温度を保っていることから、貴重な動植物の保存の場ともなっている。酒や豆腐、和紙作りなどに利用されてきた湧水も多く、自然の恵み、つまり生態系サービスの場としても重要である。
今回の湧き水しらべは、いわば個々の湧き水を対象に、湧き水を生じさせた地形・地質条件からそこに住む生物、利用、歴史まで、全てを一挙に把握してしまおうという、かなり大胆な試みであった。これまでの自然しらべとは勝手が違うため、とまどった人も多かったのではないかと推察するが、その意義は大変大きいものであったと、私は考えている。今回の企画を改めて見直し、簡単な総括をおこなってみたい。
湧き水から地域の自然の全体像が見える
湧き水をテーマにしたのは今回が初めてであるが、2000人近くの方が調査に参加してくださり、全国から533件の報告が寄せられた。調査の難しさを考えると、これは予想をかなり上回る数字である。
自然しらべのテーマは、ここ数年来、カマキリやバッタ、カタツムリ、カメ、あるいはセミのぬけがらを探そうというような、単純でわかりやすいものが多かった。それぞれの生き物がいるかいないかを報告するということだから、調査に参加するのにとくに問題はない。子供だけでも十分に参加が可能である。ところがそうしたテーマに比べると、湧き水調べは複眼的な視野と高い知的レベルを必要とする、かなり難しい作業といえる。また調査の途中にもさまざまなハードルが存在する。
湧き水しらべに参加するに当たっては、まず自分の住んでいる地域のどこに湧き水がありそうか、地域の地形を頭に浮かべながら、その在処を推定することが必要である。たとえば台地の上では湧き水のある可能性は小さいから、崖の下のようなところにあるだろうとか、扇状地ならば上の方ではなく、扇端部にあるだろうといった具合である。池のあるところは湧き水の可能性が高いだろうし、水にちなむ地名のあるところもいい手がかりになりそうである。またそこが古い台地や丘陵地ならば、湧き水はそれを刻む小さな谷の谷頭部や沢沿いにあるだろうと推定することになる。
これは難しくいえば、それぞれの地域の自然地理学的な自然像を描くということになるのだが、わが国では学校教育でこういった分野についての教育を受ける機会はごく少ないから、三次元的な地形の姿を頭の中に描けずに、この時点であきらめてしまった人もいただろうと思われる。
湧き水の在処についてまったく手がかりがない場合は、地域の自然に詳しい人や、市役所や村役場、あるいは教育委員会辺りに聞くことになるが、場所を教えてもらっても、そこにたどり着くには、25000分の1程度の縮尺の地形図を判読し、場所を特定する必要が出てくる。これも慣れないとけっこう難しい作業である(ただしGPSを使えば、それほど難しくない)。
こうして目指す湧き水にたどり着いたとしても、その後がまた簡単ではない。そこがどんな場所にあたるのか、現地の地形をみて考えなければならない。そして極め付きが、なぜここで湧き水がうまれたのか、そこの地形・地質から想像してみるという作業である。普段、こんなことを考えたことのない人がほとんどだろうから、この作業も難しかったに違いない。
ところが作業はまだ残っている。湧き水から流れ出した小川の幅、水量、池や湿地の有無、さらにはそこに生育している植物、生息している魚や水生昆虫等についての調査である。そしてこれが終わったら、湧き水の周囲が神社や寺、公園などになっていないかをチェックし、さらに下流側の土地利用について調べ、可能ならば湧き水の水が和紙作りや酒作り、あるいは魚の養殖などに利用されていないか(あるいはいなかったか)について聞きとりを行う。
書いているだけでも、調査項目のあまりの多さに呆れてしまうほどだが、今回の調査に参加してくださった方々は、程度の差はあれ、すべての質問に答えてくださったのである。ここで改めて感謝申し上げたいと思う。
地域の宝物を発見
ただ参加された方々が調査項目の多さに辟易していたかというと、決してそうではない。参加者の感想を見ると、調査にプラスの評価をしてくださった方が圧倒的に多かった。プラス評価は大きく2つの面にわけて考えることができる。一つは湧き水探しに伴う楽しさと感動であり、もう一つは地域の自然の恵みや宝物を見出した喜びである。両者ははっきりとは分けられない面もあるが、まず前者からみてみよう。
湧き水を探す作業はささやかながら探検行動を伴い、けっこう楽しいものである。見知らぬ土地を地形図を持ちながら歩く、オリエンテーリングにつながるような楽しさがある。私自身も調査に参加したからわかるのだが、藪をくぐって新しい湧き水を発見したときはうれしくなったし、今まで知らなかったところに素晴らしい湧き水があり、大切にされていることを知ったときも、素直に感動した。珍しい生き物をそこで見つけたときも、やはり調査に参加してよかったと思った。
一方、湧き水があるということは、それを支える地形・地質のシステムがそこにあるということを意味している。降った雨水がどこかで地下に浸透し、どこかで不透水層に遮られて地下水となり、崖のようなところで湧き出すわけである。湧き水のある景観は美しいことが多いが、それだけに止まらず、湧き水の背後にあるシステムを含めて、地域の宝物ということができる。神社や寺などの境内として保護されてきたところが多いのも当然のことといえよう。
もちろん湧き水は生活用水や農業用水、あるいは酒造り等に利用されており、その意味ではすでに地域の宝物としての資格は十分備えている。しかし今回の調査で、湧き水の中には、たとえば過去に和紙作りの作業場などとして利用されてきたもののあることもわかった。この場合、湧き水は歴史の生き証人と見ることもできる。
教育上の意味
今回の湧き水しらべは教育上の意味も大きかったと思う。調査には親子連れで参加された方や、教員が生徒を野外に連れ出して一緒に調査したというケースも少なくなかった。調査では、湧き水の様子や生き物だけでなく、湧水をもたらす地形や地質、人の暮らしとのかかわりについても考察してもらった訳だが、地形図を見て場所や地形を確認しながら野外を歩き、湧き水をみつけて生き物などを調べるというのは、参加した子供たちにとって(実は大人にとっても)何ものにも代え難い、いい体験になったに違いない。これまで書いてきたように、湧き水探しは、単に生き物の有無や名前を調べる調査と違って、自然全体を見渡す総合的な視点を必要とする。そのような視野を養う機会は、日常生活においてはほとんどない。その意味で湧き水しらべは、今後、野外教育や環境教育におおいに取り入れてもらいたいテーマであると言えよう。
残念ながら、今回の調査には、小中学生が多数参加するということにはならなかった。自然しらべのパンフレットができ、いざ配付しようとしたときには、学校はすでに夏休みに入っており、生徒にパンフレットが配付できなかったのである。今後、こうした企画をたてるときには、夏休みに入る前にパンフレットを配れるようにすることが望ましい。
湧き水の保全について
全国から寄せられた533カ所の湧き水に関する報告は、それぞれ4つほどの写真をつけてA3判の用紙に印刷され、私たちに配付されたが、その厚さは優に5センチを超える大部のものであった。私は地理学者としての仕事をする上で湧き水を見る機会も多いのだが、今回のレポートの中には初めて知る湧き水も多く、中には、これはぜひ見てみたいと思わせるような素晴らしいものもたくさんあった。私はワクワクしながらレポートを拝見した。自然しらべの担当者はおそらく皆、同じように感じていたのではないかと思う。
調査結果についての解析は、「結果レポート」に譲ることにするが、降水量に恵まれ、火山や台地の多い日本は、やはり湧き水の豊かな国であり、湧き水そのものの成因や形、成立の場などが実に多彩であることを改めて認識させられた。
湧き水やその下の池や流れに生息する生き物も、一部の都市部などを除いて予想外に多様性を維持しており、今後、生物多様性を保全していく上で湧き水の大切さが浮かび上がってきた。
幸いなことに、わが国では今回報告のあった湧き水のうち、かなりの部分が神社や寺、公園などの形で守られている。一部からは水の汚れや水量の減少、ゴミの放置、消毒などが報告されたが、行政に働きかけるなどしてできるだけいい形に戻したいものである。東京都など一部の地域では「湧水保護条例」が作られ、湧き水の保護を行政の方針とするようになった。日本自然保護協会としては、そうした部門と協力しつつ、湧き水の保全に積極的に取り組むべきであろう。特に湧き水が地域の宝であることを明らかにし、湧き水を保全することの重要性を広く普及することは、日本自然保護協会の重要な役割であろう。湧き水を用いた環境教育や野外教育のカリキュラムの開発などにも、ぜひ取り組んでもらいたいと思う。