2023.07.21(2023.07.31 更新)
身近な自然を絵に残す(会報『自然保護』No.593 特集記事より)
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専門度:
テーマ:自然観察ツール
フィールド:自然観察指導員自然観察
NACS-Jが自然観察会を行う上でスケッチを推奨してきた理由と、自然観察におけるスケッチの楽しさについて、自然観察指導員講習会講師でありNACS-J監事の吉田正人さんに聞きました。
吉田正人
筑波大学教授。NACS-J監事。高尾ビジターセンター解説員を経て、30年以上にわたり自然観察指導員講習会の講師を務める。
描きながらの気付きと、後で見返す面白さがある
自然観察指導員講習会(以下、講習会)には、スケッチをする時間がプログラムに組み込まれています。野外実習を行う森に入る前に数分の時間を設け、遠方から森をスケッチし、それを受講者同士で共有する。描くことで深く自然を観察でき、また人によって自然の見方がさまざまであることを学びます。
「絵を描くことを自然観察に取り入れたのは、講習会の創始者の一人である青柳昌宏先生の思いによるものでした。漠然と風景や生きものを見るだけではなく、絵に残すことで新たな発見につながる。そんな効果を期待してスケッチが講習会に導入されたのだと思います」
こう話すのは、長年、講習会事業を担当もされた筑波大学教授の吉田正人さん。自然観察におけるスケッチの重要性は広く知られるようになりました。とはいえ、自然観察会にスケッチをする時間がどれぐらい組み込まれているかといえば、そこまで多くはないのではないかと吉田さんは言います。
「観察会の限られた時間の中で絵を描く時間が取りづらいということが一因かと思います。ただ、3年前から毎日のように絵を描く習慣を続けている私が気付いたのは、わずかな時間でも絵を描く意味は十分にあるということです。また、自然観察や観察会の最中でなくても、家に帰って数分でも絵を描く時間を作ることで、気付けることがとても多いということも知りました」
吉田さんが毎日のように絵を描き始めたきっかけは、2020年のコロナ禍でした。大学の講義などオンラインの仕事が増え、身の回りの自然に触れる機会が増えたこと、ネイチャージャーナリング関連の本に出合ったこともあり、少しずつ絵を描き始めたのだそうです。
「それまでもフィールドノートに文字や数値を記録しながら小さな挿絵を描くことはしていましたが、記録としての絵をちゃんと描くことには若干のハードルを感じていました。絵を描くのは苦手でしたから。でも実際に絵を描いてみると、改めてその大切さに気付くことができました」
ウラギンシジミ
ウメエダシャク
卵を腹に蓄えたニホンアカガエルのメス
<<日付や場所などの情報を書き込んでおくことで、記録として残すことができる。>>
絵を描くことが、自然と向き合う時間となる
何よりも絵を描くことで、対象物と向き合う時間を作れたのが大きかったと吉田さんは話します。
「写真はずっと撮ってきました。でもシャッタースピードが1/400秒だとしたら、その前後を含めても、生きものと接している時間ってものすごく短いわけです。ところが30分ほどかけて絵を描くと、たとえ写真を見ながら描いたとしても、それだけの時間を対象の生きものと接しているわけで、色々と気付くことが多いんですね。
例を挙げますと、ハマオモトヨトウの幼虫を描いていたときに、頭の模様がテントウムシにそっくりだと気付いたんです。テントウムシって捕食者ですから、それへの擬態は他の虫が嫌がる効果があるのではないか? とか、そんな発見がありました。ほかにもクモの目って8つもあったんだと改めて気付いて自分の中に染み込んでいくような体験がたくさんできたんです」
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吉田さんが参考にしたネイチャージャーナリング関連書籍。クレア・ウォーカー・レスリーさんの『Keeping a Nature Journal』『Drawn to Nature – Through the Journals of Clare Walker Leslie』とジョン・ミューア・ロウズさんの『How to Teach Nature Journaling』『Nature Drawing and Journaling』(この一冊のみ『見て・考えて・描く自然探究ノート』として翻訳本が日本でも出版。
吉田さんが主に近所の自然観察の際に記録しつづけているフィールドノート。
ノートにメモした一場面をスケッチブックに清書することで、見返してみたい記録になる。
「すぐに飛んでいってしまったので、印象に残った部分しか描けませんでした」と吉田さん。この時は「胸に黒い正中線が目立つ」という強い印象から、のちにミゾゴイと分かったという。
色への興味が高じて自作カラーチャートまで!
「腹部背面の模様が顔のように見える」スズミグモ
「翌朝にはすっかりなくなっていた」というマガモ
「角をつきあわせる」キョン
<<スケッチは、それぞれの観察風景とともに描いた時の思いまでよみがえってくる。>>
子どもの教育や、自身の内省面にも効果をもたらす
吉田さんが毎日のように絵日誌をつけ始めたのは1年前。ネイチャージャーナル関連の本を読み、自然観察とスケッチの相性を改めて感じたことが大きなきっかけだったと言います。
「アメリカのクレア・ウォーカー・レスリーさんとジョン・ミューア・ロウズさんの本に書かれていたことは、私たちが講習会で常々言ってきた『描くことで色々なことに気付ける』ということ、まさにそのものだと思いました。また、ジャーナル(日誌)にスケッチを描くこと自体が癒しになるともクレアさんは書いてます。人生を豊かにする一生の趣味になりうるとも。描くことは子どもの教育面にも自分の内省面、その両面に良い効果をもたらすんだと、改めて再確認した気になりました(※ネイチャージャーナリングについては会報『自然保護』2023年5・6月号を参照)」
絵を描いてみると、すぐに色々なことに気付くようになったそうです。
「先に話したハマオモトウヨトウの擬態もそうですが、他にも気付いたことはたくさんあります。ジョロウグモだと思っていたクモが、絵を描いているうちに少し違うなと思って図鑑で調べてみたら、以前は千葉県にはいなかったスズミグモでした。元々南方に生息するクモが温暖化で分布域を広げていたんですね。絵を描かなければジョロウグモだと思ったままだったに違いありません。その日の観察で見た中で一番のスタープレイヤーだけでもいいから描いてみることで、色々と気付けるのではないかと思いました」
フィールドノートからの清書というスタイルもあり
実際に目の前で見た生きものや自然をその場で絵にするのが一番の理想なのかもしれません。とはいえ、生きている動物は描いている間にいなくなってしまうことも多く、吉田さんは写真に撮ってあとで絵に書き起こすだけでも気付くことは多い、と言います。
「その場で風景をスケッチすることもありますが、多くの場合は小さなフィールドノートに描いた簡単な絵とメモ、それに写真を撮っておいて、あとでスケッチブックに清書するスタイルです。それでも十分に生きものと向き合うことはできますし、あとになって見返したくなる一冊になります」
吉田さんのスケッチブックを見せてもらうと、そこには丁寧に線が引かれ彩色された絵が大きく描かれていました。最初は上手く描けずに戸惑ったり、色にばかりこだわって遠回りしたこともあったそうです。
「毎日描いていれば、自分なりに少しずつ上手くはなっていくものです。でも、自然観察におけるスケッチは、芸術作品を作るわけではなくて、あくまでも日誌的なジャーナルです。このコジュケイ(トップ画像右上)なんてハトのお菓子みたいでしょ(笑)。それでもいいから疑問に残ったことや興味を引いたことも描いておく。あとから見た時に、何かを発見するヒントになりますから。コジュケイはすぐに逃げてしまったので写真も撮れず、記憶だけで描きましたが、その時になぜ歩いて逃げるんだろう? と疑問が湧きました。歩いて歩いて、最後に飛ぶんですけどね。だったらなぜ最初から飛ばないのだろう? そんな疑問もメモしておきました」
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お気に入りのスケッチブックを探そう
お気に入りのスケッチブックを見つけることも長く続けるコツ。吉田さんが現在使っているのは、ネイチャージャーナリングの中心的存在であるクレア・ウォーカー・レスリーとジョン・ミューア・ロウズによる、ネイチャージャーナリングのためのスケッチブック。
発見する喜びを得られるように手助けするのがスケッチ
下にあるペンギンの絵は、自然観察指導員講習会の創始者のひとりである青柳昌宏さんが、第13次南極地域観測隊に参加した際に一本のボールペンでスケッチしたものです。
青柳さんは『自然観察ハンドブック』(日本自然保護協会刊)の中で「見ようと思って見る-じっと見る」「描くことによって見えてくる」と述べています。青柳さんに多くを学んだ吉田さんは、次のように話します。
「NACS-Jが自然観察指導員制度を作るよりも前、自然観察会といえば、参加者が指導者から生きものの名前や習性を教わるティーチング・ラーニングのスタイルでした。教える側と学ぶ側が分かれた観察会でした。言ってしまえば、参加者は自然と向き合うのではなく、指導者から教わっていたわけです。そうではなく、参加者が自ら自然の中で気付く力を伸ばすことが自然観察指導員の役割なのだと青柳先生は強調されました。指導するのではなく、参加者のみんなが自然の中から発見する喜びを得られるように手助けするのが自然観察指導員なんだよと。スケッチはその手段になると言われていました。また青柳先生は筑波大学の盲学校時代に、手で触って生きものを学ぶサーモフォームという手法を工夫し、それを自然観察に活かしました。誰もが五感を用いて楽しめる自然観察は、今ではネイチュア・フィーリングとして全国に広がりを見せています」
青柳昌宏(1934~1998):
ナチュラリスト。東京教育大学農学部と理学部で、応用昆虫学、動物生態学を学ぶ。東京教育大学(筑波大学)附属盲学校教頭、神奈川大学附属中・高等学校校長、NACS-J理事・事務局長などを務める。自然観察指導員講習会創始者の一人。ペンギン基金創立者。
自然観察指導員講習会では、プログラムにスケッチを取り入れている。じっくり観察することに加え、描いた絵を共有することで多くの見方があることに気付くことができる。
(右上)南極観測隊時にフィールド手帳に描かれた青柳昌宏さんのスケッチ。シラオネッタイチョウの群れの様子や、印象的な体色や体型が絵に加えてメモされている。(右下)南極から家族に送られた手紙にもたくさんの絵が描かれていたという。メガロパ幼生のスケッチには「目が青く光ってとてもきれい」とメモされている。(左)ペンギンの親子のスケッチ。ボールペン一本で丁寧に親子の仕草が描写されている。
青柳さんが南極で観察した「ペンギンの上陸失敗」。観察したペンギンの行動が、動きの段階的な絵を描くことで、とても分かりやすく記録されている。家族に向けて書かれたもの。
描いてみよう、触ってみよう、五感を使って楽しもう。これがNACS-Jの提唱する自然観察会のあり方です。
自然観察とスケッチ。今回は、その大切さや意義を、色々と教えてもらいました。それ以上に印象的だったのは、たくさんの絵とともに、吉田さんが観察した生きものについてとても楽しそうに話してくれたことでした。
「絵はあとで見返しても楽しいし、なによりも描くことが楽しい。楽しいことが、続けている一番の理由ですね」
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