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2022.05.02(2022.05.02 更新)

奄美大島の海と暮らしの記憶を引き継ぐために2

調査報告

専門度:専門度2

大きな集落には広い田んぼがあって、子どもたちはウナギやドジョウをとっていた。潮が引いた干潟ではタコやウニ、山ではイノシシを捕った。定期船も来る港にはサンゴ石の石垣。沖にはカツオ漁船が見える。

▲イラストは2021年11月に実施した聞き取り調査の結果をもとに、1950 年代ごろの大島海峡周辺の海と集落の姿を示したものです。一年で見られる動植物を1枚のイラストにしているため、同時期に見られない動植物もいます。

テーマ:絶滅危惧種伝統文化海の保全自然資源自然環境調査

フィールド:集落

NACS-Jが2021年11月から、奄美大島の集落の方々の協力を得て実施している昔の海に関する聞き取り調査。前号(No.586)ご紹介した北部での調査報告に続き、今回は奄美大島南部の瀬戸内町での調査結果をご報告します。

奄美大島と加計呂麻島を隔てる大島海峡では、1950年代後半ごろまで、ホンダワラ類、フノリ、モズクなど多様な海藻とサンゴ礁とが共存していました。集落前の浜も生物多様性が高く、1日でイセエビ200匹、サザエ100個、バケツ一杯のウニがとれた豊かな海でした。

大潮の夜には松明を灯し、礁池で引き潮を利用したイザリ漁を行い、魚や貝類、タコなどをとっていました。明治以降カツオ漁が盛んで、集落の海でとったキビナゴなどの小魚は、カツオ漁船に餌として売っていました。

海が変化してきたのは1960年代ごろからです。ホンダワラ類がなくなり、魚類、貝類、ウニなどが減少しました。護岸工事、埋め立て、田んぼの消失などにより、陸と海とをつなぐ水や栄養塩などの物質の循環が壊れたことが原因の一つと考えられます。

かつては、海藻採りに道具を使わず手摘みにするなど、次の年のことを考えたルールやマナーがありました。奄美の先人の記憶は知恵の宝庫です。調査を通じて学びながら、海と人との新しい関係を見つけていきたいと思います。

おじいさんおばあさんのお話(瀬戸内編)

「昔は、ウニ、イカをとり、その晩は、握り寿司にした。貝はサザエとかトコブシとかで、本当にぜいたくだった。」(管鈍)

「川では、山椒の木やデリスという毒つるを使ったりして、石積みの護岸の隙間に隠れているニホンウナギを捕まえていた。水道管にウナギが詰まっていることが、よくあった。」(管鈍)

「ユゥドゥ張と言って、カツオの餌になるキビナゴをとる漁を伝馬船で行っていた。キビナゴはヤシカゴに入れ、沖に置いており、カモメもきた。」(嘉鉄)

「イザリに行く時に、とったものを人にあげようと思ってイザリをすると、いつもの倍とれるように感じる。」(古仁屋)

担当者から一言

中野さんの顔写真

リポーター
生物多様性保全部 中野 恵
竹で竿を作ってヤドカリを餌に釣りをするのが子どもたちの日課でした。私も一緒に釣りしたい!

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