2022.03.02(2022.05.12 更新)
奄美大島の海と暮らしの記憶を引き継ぐために
調査報告
専門度:
▲イラストは2021年11月に実施した聞き取り調査の結果をもとに、1960年代ごろの笠利湾周辺の海と集落の姿を示したものです。一年で見られる動植物を1枚のイラストにしているため、同時期に見られない動植物もいます。
テーマ:自然資源自然環境調査絶滅危惧種伝統文化海の保全
フィールド:海集落
多くの固有種・希少種が生息する生物多様性豊かな奄美大島の海。この海を調査した資料は驚くほど少なく、かつて、人と自然が共に生きていた時代の自然の姿、人と自然とのつながりに関する情報の多くは、その時代を知る方々の記憶の中にしか存在しません。
NACS-Jでは、このような記憶を次世代に受け継ぐための聞き取り調査を、昨年11月から奄美大島全域で行っています。
海の環境が変化した2回の転換点
北部の笠利湾周辺の集落で聞き取りした結果からは、海の環境が大きく変化した2回の転換点があることが分かりました。
一つ目は、1960年代後半~70年代、農地整備が行われ、電気や道路が普及した時代。集落周辺の土地利用、自然資源の利用方法の変化が原因と考えられる藻場の減少、貝類や甲殻類などで「見られなくなった」種が相次いだ時期でした。
二つ目は、直近5~10年の海中環境の変化。「海底がヘドロ化している」「生きものが何もいないので海に行かなくなった」という声が多く聞かれました。私たちは確かに大量絶滅の時代を生きているかもしれないと実感します。
海の生物多様性は、地域を支える宝です。生きものがあふれる豊かな海を取り戻すために何ができるか、これからも地域の方々と共に考え、活動していきたいと思います。
おじいさんおばあさんのお話(笠利編)
「砂浜がまぶしいくらい真っ白で、ミドリシャミセンガイがいっぱいいた。」(赤木名中金久)
「昔の海はこの辺一帯、木登りすればマクブ(シロクラベラ)とか魚の群れとか、どんなものでも見えて下手な人でも魚がとれた。」(前肥田)
「磯では旧暦の12月末〜2月ごろにアオサが自生していた。アオサを二枚貝の貝殻を使ってかくように採る様子から「アオサかり」と呼ばれていた。採ったアオサは海水でゆすぎ、乾燥させたものを醤油などで味付けし、おかずとして食べていた。」(打田原)
「10月末〜11月の北風で海が荒れたときにはシイラがよくとれた。釣ってきたシイラは3枚におろして塩をして、稲わらに包んで、高倉で保存していた。冬場の漁に出られない時期の貴重な食糧だった。」(打田原)
是非、瀬戸内編もお読み下さい。
担当者から一言
リポーター
生物多様性保全部 中野 恵
おじいさんおばあさんからは食べ物のお話がたくさん。豊かな海を取り戻し、島の皆さんとお腹いっぱい食べてみたい!