2021.06.30(2021.07.09 更新)
生きものを苦しめてきた「光害」
解説
専門度:
▲2012年に撮影された日本上空の夜の衛星画像。(NASA/NOAA)
テーマ:環境教育生息環境保全絶滅危惧種
フィールド:公害対策
私たちの生活に欠かせない電気。人が安心して暮らせるよう、家の中も、外も照明に照らされた環境が今では普通になっています。しかし、生きものにとってはどうでしょうか?
これまであまり考えてこられなかった「光害」という問題について解説します。
亀山 章
NACS-J理事長。平成10年度環境庁「光害対策手法検討会」委員
夜間照明と昆虫減少の関係
一枚の写真から話を始めよう(写真1)。トビズムカデがツノトンボを捕食している。現場は栃木県の山の中、白いシーツの上である。周囲でゴミのように写っているのは小さな虫たちだ。東京農工大学農学部の学生が「夜間の屋外照明が昆虫群集に及ぼす影響」という修士論文研究のため、屋外照明の影響を受けない山中で、ライトトラップの調査をしていた際の出来事である。光に誘引された昆虫の中には10種の絶滅危惧種が確認された。
写真1:トビズムカデに捕食されるツノトンボ。東京農工大学農学部景観生態学研究室の松本宇広君の調査時の写真。
ライトトラップは人工照明の光に誘引される昆虫を捕獲して、種と個体数を記録するものだ。この写真はその際に捕獲の現場に集まって来た捕食者を写したものであり、白いシーツはトラップに使われたものである。オオカマキリ、アオオサムシなどの昆虫類のほかに、クモ類、ムカデ類、アマガエル類、ネズミ類などが光照射装置に集まり昆虫を捕食する場面が数多く確認された。
学生の研究は昆虫群集の多様性が夜間照明によって低下することを明らかにするものであったが、私にとっては、夜間照明によって誘引された虫たちはなぜいなくなるのか、という疑問が氷解した。夜間照明のもとにはエサとなる大量の昆虫が集まり、捕食者にとっては豪華な饗宴の場が形成されるのであり、それが続くと昆虫は食べ尽くされていなくなり、捕食者もやがてはエサがなくなるのでいなくなる、という関係が想起されるのである。
1960年代には光源が見えなくなるほど外灯に集まっていた虫たちがいなくなった要因の一つが分かるような気がした出来事である。虫を殺したのは光である。
光害(ひかりがい)とは、人工照明の不適切な設計・設置や配慮に欠けた使用・運用が、動植物の生育や人間の諸活動に及ぼす影響のことである。動植物への影響は、野生動植物への影響と農作物や家畜への影響に分けて考えられる。
野生動物への影響では、ホタルが発光して飛翔する時期に外灯などの照明があると交配相手が見つけられないことが知られている。ウミガメが産卵する時期に人工照明があると産卵場所の砂浜に行くのに障害になることも知られている。しかし、これらは個々の種と生息環境の特性との関係として認識されるだけであり、より広範に光害として認識されることは少ない。
ところで、森林国のわが国では、野生動物は多くが暗い森林の中で生息しており、夜行性であるものが多い。そのため、そこに光が投下されることによる影響をより広範に捉えることが求められる。
人間の諸活動への影響には、天体観測、居住者、歩行者、交通機関への影響などが考えられる。天体観測は星空が見えないと始められない。近年、大都市の夜では、天の川を見ることは不可能であり、北斗七星などの星座を見つけることも容易ではない。星が見えない夜空に詩情を感じることができないのは、大きな文化的損失と言えるであろう。
放置され、悪化している“公害”
環境庁(現:環境省)は平成10年に光害対策ガイドラインを策定して公表した。私はこの時の検討会委員の唯一の生物研究者として参加していた。光害はそれまでの大気汚染、水質汚濁、騒音、振動などの典型7公害に加えて8番目の公害にすることを期待していたが、いまだに公害としての意識は定着していないようである。
この検討会の際に、人工衛星で撮影された夜の地球の写真を用意していただいた。夜間照明で日本列島がライトアップされて、国土の形が明確にされているのを見たときには、日本の夜は明るすぎる、と愕然とした。その後、環境省は平成18年と令和3年に光害対策ガイドラインの改訂版を策定している※1。
光害はエネルギー問題とも密接である。環境省は平成8年度に光害対策による二酸化炭素排出抑制効果を試算している。それによると、照明器具からの漏れ光※2が抑制されると、夜間屋外照明に使用される電力量の約18%、国内の年間電力消費量の約0・2%が削減されるとしている。試算から25年を経た現在では、日本の夜の空は、はるかに明るくなっており、夜間照明による二酸化炭素の排出量はさらに増大していると考えられる。
※1:環境省の光害対策の関連資料:http://www.env.go.jp/air/life/hikarigaitaisaku.html
※2:照明機器から照射される光で、その目的とする照明対象範囲外に照射される光
写真2:大都市の光害を明らかにした書籍『Light Pollution in Metropolises』
ところが、である。近年、外国人観光客の誘致を目的とした都市の魅力向上の名のもとにライトアップ、イルミネーション、光のページェント、プロジェクションマッピングなど、光を用いたイベントが数多くなされるようになっている。それに加えて、観光客の安全のためという目的で、夜間照明をより明るくすることも熱心に取り組まれている。
皇居の周辺の濠では、近年まで発生が見られたヘイケボタルが、最近の2シーズンは確認されていないと言われている。さらには、皇居を外側からライトアップしようとする構想もあるように聞く。都心で自然が最も豊かな皇居の森を明るくすることは無謀としか言いようのない愚挙であり、ましてや両陛下のお住まいになる静謐が求められる場所である。
どのランクの星空を求めるか。後世に残る自然保護の議論を
光害は、生きもの以外の影響も考えねばならない。平成10年の光害対策ガイドラインの会議には多くの天文学者が参加していた。そのときの議論で星空のランキングが話題にされた。これは、夜空の暗い順に、見える星のランクがあるという考え方である。
① 最も暗い夜空は、空に砂を敷き詰めたように星がある状態で、星降る里、と言えるものである。星座も何も区別がつかない星空である。
② やや明るい夜空となると、天の川が明確になる。
③ さらに明るくなり星の数がずっと少なくなると、北斗七星が手に取るように分かるようになる。
④ 最後は宵の明星と明けの明星だけが見られる大都会の夜空である。
自分が住む町の夜空が、現在、この中のどのランクになるのか、将来、どのランクになりたいのか。星空の理想を求める議論は、夜空の自然保護の議論として後世の歴史に残るものとなるであろう。
レイチェルカーソンは、『Silent spring』の冒頭で、春が来ても鳥の声が聞かれない、沈黙の春、を述べているが、このままではヒトだけが賑やかで、生きものがいない静かな夜 「silent night」が訪れることが危惧される。