2021.03.03(2021.03.10 更新)
【東日本大震災から10年】よみがえれ!生命の宝庫、蒲生干潟(宮城県)
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▲2018年9月の蒲生干潟。海岸・干潟・草地と続く大切な景観。
テーマ:生息環境保全
フィールド:干潟
震災直後、周囲の松林やアシ原は消失し、生命の気配を失った蒲生干潟。
そこから現在に至るまで、常にこの干潟を見守り続けてきた「蒲生を守る会」の熊谷佳二さんに、経緯と現状をレポートしてもらいました。
熊谷佳二
1970年結成の市民団体「蒲生を守る会」中心メンバーの一人。45年間、蒲生干潟の生態系を見守り続け、その大切さを発信。
震災から16日後の3月27日、眼前には「沈黙の干潟」が広がっていました。国の鳥獣保護区特別保護地区に指定されている渡り鳥の楽園、そして四季折々に多くの市民が訪れる憩いの場だった「生命の宝庫、蒲生干潟」。地元新聞の記事に「復元不能」「回復困難」と書かれたほどでしたが、私たち蒲生を守る会は諦めず、干潟の復活を信じて月1回の調査をすぐに再開し、環境の変化を記録し続けました。すると、その結果は驚くべきものでした。
1カ月も経たないうちに、カニの姿が観察され、5月には干潟表面に生物の巣穴が多数出現し、一部からは勢いよく水が噴き出していました。「沈黙の干潟」は呼吸を始めていたのです。徐々に海岸地形も復元し、海から多くの海岸動物の幼生が干潟に運ばれ、大津波の打撃から生き延びた生物も活動を高めていきました。干潟の底生生物が増加すると、シギやチドリなどの水鳥が食物を求めて次々と飛来し、海から魚が群れをなしてやって来るようになりました。
12月中旬には国の天然記念物であるコクガンの飛来・越冬を、翌2012年の夏にはアカテガニの幼生放出を、そして2013年4月にはヤマトカワゴカイの生殖群泳を観察することができました。干潟生態系は再生へと歩み出したのです。
私たちは自然観察会やシンポジウムなどを行い、広く市民やマスコミに干潟の復活をアピールし、行政に対して復旧工事の干潟への配慮や保全対策を要望し続けました。しかしこの後、強大な人為的圧力が干潟を脅かします。宮城県による巨大河川堤防工事と仙台市の蒲生北部土地区画整理事業が並行して進行していったのです。
大規模復旧工事による自然破壊
2016年、ついに当地で河川堤防工事が着工されました。当初は回復しつつある干潟の一部を埋め立てる計画でしたが、私たち市民の強い要望を受け、数10mセットバックする形状に変更されました。
しかし、変更案でも干潟生態系への悪影響は計り知れません。仙台湾岸の高さ7.2m、幅40mの巨大防潮堤と同じ形状の巨大な河川堤防は、後背地と干潟を分断し、自然環境の連続性を奪ってしまうからです。
さまざまな場で反対意見を述べ、関係当局に計画変更の要望書を提出し、国会請願を行うなどの活動を行いました。
それでも計画は強行され、回復途上にあった干潟の生物多様性は大きく損なわれてしまいました。自然破壊を伴った当地区の復旧工事は、2021年3月末に終了の予定です。
▲変更された河川堤防計画。当初の予定より、数10m内陸にセットバックしている。
地域の自然や歴史、文化と共存する真の復興を求めて
干潟の背後で進行中の区画整理事業により自然と共存してきた蒲生の町は消失し、火力発電所や港湾・運輸関連施設が立ち並ぶ工業地域が整備されつつあります。
しかし歩みを緩めたとはいえ、干潟の再生は進んでおり、絶滅危惧種のコクガンの越冬やシロチドリの繁殖が毎年行われています。約30年ぶりにコアジサシが繁殖に成功したことも明るいニュースです。堤防のセットバックによって、干潟との間に幅数10mの緩衝地が生まれました。
私たちはその空間を活用して、海岸林再生のための植樹や淡水池、湿地の造成などを行い、自然環境の多様性を高め、干潟の自然再生に寄与したいと考えています。そして、これらの活動は、市民主導のボトムアップで進めていきたいと思います。
地域の自然や歴史、文化を大切に考え、それらと共存するまちづくりこそ、復興本来の姿です。仙台近郊の小さいけれど、大切な干潟。震災を乗り越え、再生の途上にある干潟やふるさとの自然を未来に伝える活動を今後も続けていきたいと思います。
参考文献
- 熊谷佳二(2019).蒲生干潟の自然再生と復興事業の人為的攪乱.月刊海洋Vol.51,No.9:424-430
- 熊谷佳二(2019).甦れ、生命の宝庫、蒲生干潟-地域の自然や歴史と共存する真の復興を求めて.みやぎ震災復興センター、他編.東日本大震災100の教訓:170-171
- 蒲生を守る会(2020).蒲生干潟の現在(いま)2011-2019.蒲生を守る会活動50年記念出版
特集『東日本大震災から10年~復興と自然の移り変わり~』
<目次>