2021.03.03(2021.03.10 更新)
【東日本大震災から10年】被災地で育つ子どもに里山体験。つなぐのは自然と人、人と人(岩手県・大船渡市)
読み物
専門度:
テーマ:子育て里山の保全
フィールド:里山森林
震災の一年前に岩手県大船渡市綾里地区の実家へとUターンして里山の再生をスタートさせた千田耕基・永久世さん(自然観察指導員)ご夫妻。
震災を経て10年、地域の子どもたちに里山で遊び学ぶ場をひらく「大小迫つむぎの家」の暮らしを紹介します。
お話をお聞きしたのは、この人
千田耕基・永久世さん
2010年、岩手県大船渡市綾里地区に「大小迫つむぎの家」を開設。荒廃した里山を再生し、自然体験の場として地域に開放。
Uターンではじめた里山再生。その翌年に震災が故郷を襲った
三陸のリアス式海岸の中央部、岩手県大船渡市の綾里地区に「大小迫つむぎの家」はある。今から11年前に神奈川の三浦半島から定年退職を機にUターンした千田耕基さんと妻の永久世さんが、放置された故郷の里山を再生しながら地域の人たちと触れ合う場として始めた暮らしの形だ。
築140年の母屋を中心に、田畑で無農薬栽培による米や野菜を作り、山林の整備をしながら炭も焼く。かつては当たり前のようにあった里山の暮らしを実践しながら、子どもたちをはじめ地域の人たちに開放することで、体験や遊び、そして憩いの場となっている。
2010年に移住してすぐ、二人は耕基さんの実家が持つ10年以上放置されてきた里山の整備に取り掛かった。林野庁の助成金も受けてようやく形になってきた翌年、震災が起こった。
41.2mという今回2位の遡上高を持つ大津波が綾里地区に押し寄せた。海岸線から500m以上離れるつむぎの家はかろうじて難を逃れたが、川向にある綾里小学校の校庭はがれきに埋まった。地区では27人の死者・行方不明者が出た。津波の大きさは三陸地区随一だった。その一方で被害の度合いは他地域に比べれば少なかったとも言える。
「綾里は代々、津波教育が周知徹底されてきた土地です。地元の津波研究家である故山下文夫さんの『津波てんでんこ(津波がきたらてんでんばらばらにすぐ高台に逃げろ、との標語)』は住民に広く浸透していました。一糸乱れぬ行動で子どもたちを避難させた綾里小学校では、かつて津波を題材にした創作劇の発表会なども行われてました。ただ、他地域から新しく移住されてきた方々が犠牲になってしまいました。防潮堤が逆に安心感を与えてしまったのではないかと私は考えています」耕基さんはそう語った。
▲津波によるがれきは、つむぎの家から150mの川向にある綾里小学校の校庭にまで押し寄せた。
▲震災の前年、子どもたちを呼んでの干し柿作り体験。これが綾里小学校との関係の始まりとなった。
▲2012年より毎年6月に行っている植樹体験。子どもたちの植えた木が故郷の里山を作っていく。
▲高校卒業時につむぎの家に集まった子どもたち。幼少時からの温かな思い出を振り返り、夢を抱いて未来へ。
日常生活を離れた憩いの空間
震災後の10年間で、綾里地区の人口は約3割減少した。それに伴い農業を営む世帯も半減し、専業農家はもうないという。自然に寄り添う暮らしはこの地域でも確実に減少を辿っている。
「漁業も減りました。その代わりにサラリーマンのご家庭が増えて、今の子どもたちはほとんど家業の手伝いをする機会がないんじゃないでしょうか」そもそも被災して避難生活を余儀なくされていた家庭も多い。海岸は工事で立ち入り禁止、山は放置されて荒れている所が多い。
そんな中、つむぎの家は子どもたちにとって数少ない「自然の中で思う存分遊べる場所」となった。山にある素材で工作をしたり、砦を作ったり、虫を探したり、田んぼでは泥んこになって遊べ、脇を流れる小川ではカエルや魚捕りも楽しめる。
「ある女の子は『ここにくるとホッとする』と言ってくれました。家も流され仮設住宅生活が続く中、学校とも家とも違う時間が過ごせていたのかなと思います」と永久世さん。その子が高校を卒業する際にクラスメイトに声をかけてつむぎの家に集まってくれたことが、とてもうれしかったという。
つむぎの家を必要としていたのは子どもたちだけではない。「震災直後は子どもたちのご両親が一緒にやってきて寝転んで日光浴をしたり、子どもたちが遊ぶ姿を見ながら長い時間おしゃべりをして帰っていくことも度々ありました。話を聞くと、子どもの頃はこの辺りの里山を駆け回って遊んでいたそうなのです」
塩害で学習圃場が使えなくなってしまった綾里小学校につむぎの家の周りの里山の活用を申し出たことから、学校と連携した自然体験活動も始まった。野菜作りや自然との触れ合い、米作り、炭焼き、自然素材のクラフトワークなど。年を重ねてつむぎの家の里山は、子どもたちにとって絶好の自然学習の場となっていった。
「うれしいのはね、つむぎの家で遊んだ子どもたちが夢をもって成長していく姿を見ることです」と耕基さん。
「つむぎの家で企画した活動の一つに植樹体験があります。そこには自分の手で木を植えた綾里の里山が自分たちの故郷であるという思いを子どもらに持ち続けて欲しいという願いがあります。震災で人口はさらに減ってしまいましたが、震災を機に戻ってきた若い世代もいます。綾里の復興は被災地の中では最も迅速に進みました。ですがそれはあくまでもハード面です。例えば震災跡地に触れ合い広場ができたとして、それを管理・活用するといったソフト面が充実して初めて復興したと言えるのではないでしょうか」
永久世さんは笑顔で次のように話す。「いつの日か私たちにも里山の管理をできなくなる時がくるでしょう。その時、ここで体験したことを体のどこかに沁み込ませている子どもが自分の故郷のこととして思いだしてくれたら……なんてことを、実は願っています」
大小迫つむぎの家がつむぐのは自然と人、そして人と人。この10年、被災地で育った子どもの心中を推し量ることは容易ではない。だとしても、幼少時の故郷をたどるアルバムの1ページに里山の風景が加わったことの意味は、つむぎの家のブログにアップされた子どもたちの笑顔を見て、分かった。
特集『東日本大震災から10年~復興と自然の移り変わり~』
<目次>