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2020.12.28(2022.11.18 更新)

動物文学の祖・平岩米吉氏私邸 「白日荘」の調査報告書が完成

報告

専門度:専門度3

▲東京・自由が丘にあった「白日荘」

テーマ:自然環境調査伝統文化

イヌ科動物の研究で知られた平岩米吉氏は、NACS-J初代評議員の一人でした。日本自然保護協会(NACS-J)は、私邸の白日荘が2019年売却されるにあたり、遺族関係者の依頼を受け、学術資料保存に協力しました。

土地を取得した事業者からは解体前に建物・庭園・環境調査の依頼があり報告書にまとめました。


日本自然保護協会 創成期評議員の平岩米吉氏『白日荘』を偲ぶ

かつて「愛犬王」と呼ばれたイヌ科動物の研究者、平岩米吉氏をご存知でしょうか。平岩氏は昭和初期の在野の動物研究者であり、動物文学という新たな分野を切り拓き、日本自然保護協会の設立直後の創成期の評議員を務めていました。

日本自然保護協会は2019年、平岩氏の私邸であり、「犬科生態研究所」があった「白日荘」が売却されるにあたり、その研究資料の保全や、白日荘の建築・庭園・自然環境について調査の依頼を受け、報告書を取りまとめました。平岩米吉氏の紹介とともにご報告します。

肖像画▲平岩米吉氏肖像画

報告書表紙▲『目黒区自由が丘3丁目計画/既存家屋・家具・庭園・自然環境等調査業務報告書』(日本自然保護協会 2020.3)

平岩米吉氏は1898年(明治31年)に竹問屋を営む父の6男として亀戸に生まれ、若くして父を受け継ぎ連珠の有段者として活躍した異色の経歴の研究者でした。1929年(昭和4年)、東京目黒区自由が丘に、私邸「白日荘」を建設し家族とともに移り住み、チョウセンオオカミやシェパードなどイヌ科動物の飼育・研究に没頭し、「犬科生態研究所」を設けました。

古今東西のイヌ科の動物の生態や文化的関わりに深く研究がおよび、特にイヌ科の寄生虫病であるフィラリア治療の道を開きながら、「動物文学」という分野を日本で開拓しました。

白日荘では、『母性』『科学と芸術』『動物文学』などの雑誌を次々と創刊し、自らも執筆活動を続けるほか、「動物文学会」を設立して戦前戦後を通じて多くの著名な文豪とも交流を広め、シートンの作品やザルテンの『子鹿物語(バンビ)』を日本で初めて紹介したのも『動物文学』誌でした。1949年に始めた哺乳類動物談話会は、日本哺乳動物学会となり、日本哺乳類学会の祖ともなりました。

白日荘の写真▲1929年(昭和4年)建設当時の白日荘(左)、2019年10月の白日荘(右)

「白日荘」は自由が丘の小高い丘の上にあり、平岩米吉氏と米吉氏の逝去後もその研究を受け継いだ長女の由伎子氏が収集したイヌ科動物、ネコ科動物の研究資料や、1933年創刊の『動物文学』を中心に、平岩氏自身や交流の深かった北原白秋、柳田国男、室生犀星、南方熊楠など多くの文豪の原稿等が残されていました。

▲白日荘内の平岩米吉氏の書斎

▲チョウセンオオカミを抱く平岩米吉氏(昭和10年頃)

由伎子氏の逝去後は米吉氏の研究を受け継ぐ方はなく、2019年春に代替わりで売却されるにあたり、遺族関係者より平岩米吉氏が遺した膨大な研究資料の調査保存の協力依頼がありました。イヌ科・ネコ科の研究資料については獣医学の研究者の方々、文学資料については日本近代文学館の方々にご協力をいただき、遺族関係者の倉庫に保管されていた資料も含め2019年3月から2020年7月まで貴重な資料の調査保全を行いました。その中には、日本自然保護協会の評議員委嘱状など創成期の資料も発見されました。

評議員委嘱状の写真▲日本自然保護協会創成期 平岩米吉氏への評議員委嘱状(1954年)

白日荘が売却された後、土地の所有者となった事業者より建物・庭園・敷地の環境を調査し記録することの依頼を受け、2019年10月より2ヶ月にわたり解体前に白日荘の建造物や庭園、自然環境の調査を行い、報告書にまとめました。

生態学、造園学、文化財保護の専門家である亀山章日本自然保護協会理事長の総監修のもと、家屋・家具に関しては、河東義之氏(国立小山工業高等専門学校名誉教授)の監修のもとに藤木竜也氏(千葉工業大学創造工学部建築学科準教授)、庭園に関しては鈴木誠氏(東京農業大学地域環境科学部造園科学科庭園文化研究室教授)、自然環境に関しては株式会社地域環境計画の方々に調査・分析をいただきました。

白日荘の建築設計は、平岩米吉氏の他分野の専門家との交流の広さがうかがえ、主屋の実施設計は、文部省技師で東京帝国大学の震災復興にも携わった建築家・奥田芳男氏で、建築顧問は東大の安田講堂等の設計者でもある岸田日出刀氏との記録がありました。

主屋では書斎(応接室)で、手摺に法隆寺金堂・五重塔高欄の卍崩しの組子をあしらった3畳敷の「上段」を置き、居間には大壁・板敷の床・格天井を取り合わせた洋風のコーナーを併設するといった和洋折衷の設えとなっていました。大正・昭和戦前期の中流住宅にとって重要な和洋意匠の並列・折衷の「縮図」ともいうべき特色が見出せ、近代日本住宅史上における重要な学術的特徴が認められる文化資産といえるものでありました。

主屋内部の写真▲手摺に法隆寺金堂・五重塔高欄の卍崩しの組子をあしらった3 畳敷の「上段」(左)、平岩米吉の立案で奥田芳男の設計になる 「天地根元宮造」を近代化したという神棚(右)

庭園設計は、明治神宮の杜の造園にも関わった上原敬二の名が記されており、昭和4年の完成当時には、パーゴラ付きのガーデンプールやアーチ・トレリス装飾のゲート・パーゴラ(庭門)など、装飾性の高い洋風庭園施設が施されていました。ほどなく、平岩家で多くの犬や狼を飼育する場所として整備され、実用主義の庭園として活用されてきました。

庭の写真▲広い庭園から主屋を望む(左)、鋳物のライオンの壁泉をもつ池(右)

ゲートの写真▲建築当時につくられたアーチ型ゲート(左)、面影を残すゲート(右)

祠の写真▲犬等の碑 裏面に犬等の名前が刻まれていた(左)、飼育していた狼や犬たちを祀った祠(右)

バッタとタヌキの写真▲環境省レッドリスト2019絶滅危惧II類のショウリョウバッタモドキ(左)、ホンドタヌキは目黒区の「環境形成の目標指標種」(目黒区 2014)(右)

庭園は周囲を高木に囲まれ、飼育された狼や犬たちを祀る祠や石碑が建立され、かつてガーデンプールであった池はコイの飼育に使われ、トンボのヤゴやヒキガエルもその水辺の主となっていきました。主屋や離れの周りでは、花壇やしいたけ栽培の利用も行われましたが、チョウや鳥類が利用できる果樹や高木、草本が豊かにあり、東京都では絶滅危惧種となったショウリョウバッタモドキが生息するチガヤ群落も残されていました。イヌ科動物が駆け回った庭園の名残として野生のホンドタヌキも確認されました。自然環境の調査は10月下旬の2週間でしたが、植物は159種、昆虫が120種、鳥類は11種、哺乳類は2種、両生類ではヒキガエル、爬虫類ではニホンヤモリが確認されました。

こうした昭和初期から続く民家敷地の自然環境の調査が行えることは希少な機会で、草地と高木と水辺のある環境が長年保たれてきたことで、都会の住宅地では驚くほどの生物多様性が保持されていたことは、都市の自然の変遷を知る上で希少な記録となりました。
跡地はマンション建設地となりましたが、周囲の公開緑地には、白日荘からの在来種の低木のいくつかが移植される計画となりました。

この調査活動全体を通じて、平岩米吉氏が遺した、獣医学分野の資料、白日荘の神棚、書斎の手摺、一部の建具や池の壁泉の部材も学術資料として保存されたほか、米吉氏の童話原稿や日記、草野心平、南方熊楠、室生犀星、与田準一などの「動物文学」寄稿原稿、また北原白秋『鎮』(アルス 昭和2‐)や小山内薫『亭主』(春陽堂 大正15)など交流のあった文学者たちの著書を含む旧蔵書299点、「支那風物」2巻1~2号(昭和2)などの雑誌78点、そして白日荘の建築、造園、自然環境の調査をとりまとめた報告書を『目黒区自由が丘3丁目計画/既存家屋・家具・庭園・自然環境等調査業務報告書』として、目黒区の日本近代文学館に寄贈することができました。報告書は地域の方々も閲覧利用できるほか、日本自然保護協会会員は事務局のライブラリーで閲覧利用ができます。地域の文化や自然の記録として、後世に役立つことを願っています。

支援企画 参事 鶴田由美子

【参考資料】

著書表紙▲「狼―その生態と歴史」平岩米吉/築地書館・1981(左)
▲「犬と狼」平岩米吉/築地書館・1990(右)

著書表紙▲「狼と生きて―父・平岩米吉の思い出」平岩由伎子/築地書館・1998(左)
▲「愛犬王 平岩米吉伝」片野ゆか/小学館・2006(右)

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