2018.10.31(2018.12.07 更新)
日本の森を守ってきた40年
読み物
専門度:
▲やんばるの森
テーマ:森林保全
フィールド:森林
NACS-Jは長きにわたり日本の森を守る活動を続けてきました。特に、日本の森の3割を占める国有林の生態系を守るためのしくみづくりに力を入れてきました。その40年を振り返ります。
横山 隆一(NACS-J 参事)
沖縄・やんばるを森林生態系保護地域に設定
2017年12月25日、沖縄島北部のやんばるの国有林3007・04haが、林野庁の「森林生態系保護地域」となりました。森林生態系保護地域とは、全国の国有林の中で、原生的な自然林で最もまとまりを持った場所・範囲に設定される保護林のひとつです。
やんばるの国有林は、原生的な亜熱帯常緑広葉樹林が広がり、南北に延びる脊梁山地の稜線部には雲霧林ができ、山々から流れ出る川は短いながらも源流の渓流から河口の汽水まで多様な水辺環境があります。これらの自然全体が、やんばるにすむ多くの固有種・希少種を含む野生生物にとって最大のまとまりを持つ最後の生息地であり、ここを保全するために保護地域にすることが1980年代からの課題でした。
保護林制度改正を実現させた80年代
国有林の保護林は、制度づくりは林野庁、設定と保全管理は全国に7つある森林管理局が5年ごとに立てる地域管理経営計画で決定されます。保護林の設定と管理は外部委員会方式で行うもので、日本全体にかかわるNGOで唯一、NACS‐Jも参加しています。外部委員にNGOも入るしくみは89年につくられたものです。これは、保護林を行政だけで決めるのでなく社会に開かれたものにする変更で、80年代の自然保護運動、特にその土地固有の自然林を守る活動によって得た大きな成果のひとつなのです。
森林保護の問題は、日本の森林の3割をも占める国有林をどうするかが規模も影響力も最も大きいものです。そのため80年代の森林保護活動は、70年代の東北のブナ林保護運動から続く、奥山の自然林を大規模に伐採し針葉樹の人工林に置き変えていく拡大造林政策の見直しを市民に訴えることと、協力を得るための働きかけでした。またそれは、この政策に伴って生じる大規模林道、広域基幹林道などの山奥への高規格の幹線林道の開削と建設、あるいはレクリエーションという名の観光開発やリゾート開発を、地域固有の自然林や原生的な自然林のまとまりを持つ国有林で行おうとすることへの抵抗運動でもありました。日本の森の多様性を失わせる、木材資源利用にのみ偏った経営の終了。これが目標でした。
この運動を推し進めるためにNACS‐Jが直接取り組む現場として最初に選んだのが、白神山地の原生的なブナの森でした。取り組んだのは、①原生的なブナの森の価値の整理と、その広がりの範囲を特定するための調査研究・情報化。②ブナの森の価値と美しさを世の中に知らしめるための、マスメディアを通した画像・映像・言葉の徹底した普及。③シンポジウムや国会での質疑要請、林野庁との直接折衝を通しての交渉でした。これらを進めるためにブナ原生林保護基金をつくり、新聞への意見広告、パンフレット、ポスターで全国に協力を呼びかけるとともに、全国一斉に地域の自然林での自然観察会を各地の自然観指導員連絡会と共催するなど自然林保護キャンペーンの体制を組み上げました。
こうした活動によってブナ林開発に対する社会的批判が膨らみ、林野庁は87年、「林業と自然保護に関する検討委員会」をつくり、問題の収め方と今後のあり方を検討。その結果、89年に大正時代から続いてきた保護林制度を大きく改正し、地域ごとに原生的な自然林を大面積でくくり、コアとバッファ・ゾーンを持つ「森林生態系保護地域」という画期的な保護林を含む7つの保護林体系に改めること、日本の気候区分ごとに重要な森にこれを当てはめることとしました。
これは、NACS‐Jが長年求めていた改正でした。こうして、白神山地、知床、屋久島をはじめ現在31カ所、(やんばるを含む)に森林生態系保護地域の配置が決定。各森林管理局でその範囲や保全管理方法を定める設定委員会ができ、委員会にはNGOからの委員を必ず参画させることが通達され、開かれた委員会で設定されることとなったのです。森林生態系保護地域以外の6種類の保護林も各地域のNGO参画の中で順次決められていきました。その後、白神、屋久島、知床、小笠原は世界自然遺産にも登録され、今、鹿児島・沖縄県の奄美・やんばる・西表などが世界自然遺産登録の手続きの中にあります。
▲全国の森林生態系保護地域林野庁「森林生態系保護地域の配置」より一部改変
多様性保全にかじを切る国有林
98年、林野庁は国有林の管理経営の基本方針を「木材生産機能重視」から「公益的機能重視」に大転換し、5年間の集中的な取り組みを行いました。これは大きな変革で、保護運動と多様性保全の社会的要請の力がなしえたことです。この象徴のように2002年から、ダムとリゾート開発計画から守った利根川源流赤谷川集水域1万haもの国有林を関東森林管理局、群馬県旧新治村(現みなかみ町)の地域社会、NACS‐Jの三者で、自然林を復元するモデルプロジェクトとして「赤谷プロジェクト」を開始しました。
また、国際条約や国内戦略など生物多様性保全の社会的要請や世界遺産地域の確実な保護の要請を受け、林野庁は08~09年に「森林の生物多様性保全の推進方策検討会」を開催。そして14~15年、林野庁は「保護林制度に関する有識者会議」を開催し、保護運動を契機に行われた89年の保護林制度を再度見直し、区別や管理目標が分かりにくいといわれていた保護林種別を①森林生態系保護地域、②生物群集保護林、③希少個体群保護林の3区分とし、すべての保護林の設定と保全管理を常設の「保護林管理委員会」で行うこととしました。これを受け、16~17年に7つの森林管理局全局で保護林区分の移行作業を同時進行。18年の今年は、モニタリングの方法と改めて新規設定すべきところがないかなどを検討し、18年4月時点で、日本全国で97・7万ha、666カ所の保護林がつくられています。
地元の研究者から保護の要請のあった宮崎県の「綾の森」も、長野・岐阜県境の木曽ヒノキ自然林復元のための「悠久の森」にも、新たな枠組みの森林生態系保護地域と生物群集保護林が設定され、積極的な保全管理・復元の計画が立てられつつあります。これら保護林と生物多様性にかかわる委員会にNACS‐Jは委員として参加し、森を守るしくみづくりに努めてきました。全国の会員の方々の支援に改めて感謝申し上げます。
NACS‐Jは、目の前にある質のよい森をそのままの状態で丸ごと守る、壊された森を自然の力でよみがえらせたい、そう考えて国有林の自然林に注目してきました。しかし、日本の森の保全は国有林だけで済むものではありません。里山という環境そのものが消えそうだったり、都市の中の緑地も軽んじられているような時代を迎えています。行政は価値が認められたものしか守れません。少し先には当たり前になっているだろう価値を、社会に直接訴えるのがNGOの役目である中、価値を見つけ出した人たちとの協働活動を続けていきたいと思います。
▲写真左:利根川源流部(赤谷の森)/写真右:知床