2017.12.20(2018.10.30 更新)
こんなにいろいろ日本のお雑煮!
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テーマ:伝統文化
お正月に日本各地で食べられているお雑煮は、実はとても多種多様です。
もともとお雑煮は、年越しの夜「年神様」に供えた餅と地場の産物を、年明けにひとつの鍋で煮て食べたもの。家々に一年の 実りと幸せをもたらす年神様とともに食べるお雑煮は、豊かな暮らしと自然の恵みへの祈りが込められた大切な行事食でした。
各地のお雑煮を見てみると、日本人の暮らしを支えてきた多種多様な自 然の恵み、「生物多様性」の姿が見えてきます。
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※各地の特徴あるお雑煮の一例を紹介しています。味付け、具材などは同じ地域でも地区や家ごとにさまざまに異なっています。
※2009年の日本調理科学会調査の結果から、各都道府県で最も割合の高かった味付けを地色とし、25%以上の割合を占めた味付けをドッド柄で重ねて示した。
お雑煮イラスト:稲葉千恵美
参考文献:『全国から集めた伝統の味 お雑煮100選』文化庁(女子栄養大学出版部)、『ふるさとの家庭料理5 もち 雑煮』奥村彪生(農文協)、『わくわくお正月とおもち』奥村彪生(農文協)、『aff』2011年1月号(農林水産省)など
お雑煮から見る地域の風土
江戸時代、庶民に広がったと言われるお雑煮は、各地の歴史や風土に培われて、現在に伝わるさまざまな形になりました。餅の形や汁の種類、さまざまな具材を見なおしてみれば、あなたの家のルーツはもちろん、地域の歴史や気候風土が見えてきます。お正月の食卓で、あなたの家の味を生み出した自然の姿をさぐってみませんか。
お正月、皆さんはお雑煮を食べましたか? 今回は、お雑煮の現状についてご報告し、さらに特徴あるお雑煮と地域の風土のつながりについてご紹介したいと思います。
日本人の90%以上がお雑煮を食べている!
日本調理科学会では、現在の日本における行事食と地域性を明らかにする目的で、「調理文化の地域性と調理科学:行事食」というアンケート調査を、2009年の暮れから翌年の正月にかけて一斉に行いました。回答者数は2万4000人以上※。今回は、このデータと私が調べたものを基に紹介します。(※各都道府県に関係している研究者が、全都道府県において、主に短期大学生、大学生とその保護者を対象にアンケート調査と聞き取り調査を行った。)
まず「お正月」という行事の認知度を確認しました。全国平均でみるとほぼ100%に近い回答者が「知っている」「経験している」と答え、ほかの行事と比べて、非常に高い値になっていました。
では、お雑煮についてはどうでしょう。「毎年食べる」人は、全国平均では90%を越えていました。これも行事食としてはかなり高い値で、正月にお雑煮を食べるという習慣は現在でも行われていることが分かります。しかも70%以上の家庭で手づくりされていました。しかし、ここ30年間を見ていきますと、わずかずつではありますが減少傾向を見せています。
一方、「正月に餅を食べると腹を病む」、「餅つきの時、合い取り(餅を返す人)を突いてしまった」などという言い伝えや、「先祖の開拓当時の苦労をしのぶ」などという理由から、「元旦、三が日やお正月には餅を食べない」という、いわゆる「餅なし正月」という習慣も残っています。
あなたの家は丸餅? 角餅?
お雑煮に入っている餅は、どんな形の餅でしょうか。最初からあったのは丸餅です。しかし江戸時代になり、江戸で角餅がつくられるようになりました。人口が集中していたために、大きくのばした餅を切った方が、1個ずつ丸めるより量産ができたためです。そのため「東日本が角餅、西日本が丸餅」と言われてきました。
今回の調査でも、能登半島から岐阜県、三重県の西側を境として、北海道を含めた東側では角餅、西側が丸餅という結果になっていました(下図)。
しかし角餅が西側の高知県や鹿児島県で、反対に丸餅が青森県や山形県でも食べられていました。高知県の場合は山内のお殿様、鹿児島県は島津のお殿様の存在が影響していると言われています。さらに角餅は焼いてお雑煮に入れているのに対し、丸餅は焼かないでそのままだしに入れて煮るか、ゆでて入れていることが分かりました。餡の入った餅も四国の東側や、九州の一部にあります。
では味付けはどうなっているのでしょうか。すまし仕立てのものは全国的に存在していました。しかし関西地方と四国の東側では白みそ仕立てが、鳥取県と島根県ではあずき仕立てのものがありました。
だしは多くの場合、削り節と昆布から取った混合だしが用いられていますが、秋田県ではハタハタの塩辛からつくったしょっつる、宮城県では焼きはぜ、福島県では貝柱から取っただしというように、地域の産物を活かした特徴あるだしも使われています。
具材から見える風土との関係
次に具を見ていきましょう。お雑煮は江戸時代に現在のような形になったといわれています。
年末に餅をつき、産物とともに年神様にお供えをしました。年が改まり、そのお供えをお下がりとしていただくのがお雑煮です。したがって具材はその土地の産物が中心で、地理や気候など自然条件が大いに関係しています。
さらに長野県南部でみられる鰤のように、普段食べられないような贅沢な食材が加わってきます。かつて捕鯨基地があった青森県や兵庫県のくじら雑煮、新潟県の鮭といくらの雑煮、広島県のかき雑煮のような独特なお雑煮や、男鹿半島や千葉県房総地方、島根県出雲地方では乾燥した海藻を、名古屋や京都では花かつおを上にのせたり、岩手県ではくるみだれ、奈良県ではきな粉に付けたりするなど、地域ごとにさまざまです。
しかし具材を詳細に見ていくと地域内でも多様で、大げさに言えば、家庭ごとにその家独特のお雑煮があるような感じさえします。今回の調査では古来、お雑煮を食べる習慣がないといわれてきた北海道にもお雑煮が存在し、明治時代以後、本州から移り住んだ人々がお雑煮文化を持っていったことが分かりました。なお沖縄県では今日でもお正月にお雑煮を食べる習慣がなく、中身汁などが食べられています。
私たちの別の調査によりますと、料理は父親からというより、母親から子に伝わっていく機会が多いようです。交通が発達し、人々の移動が格段と広範囲になってきました。餅やお雑煮について、従来から言われてきていたような境界線はあいまいになってきたように感じますし、今後も均一化の方向にいくものと予想されます。
それでも、今も全国各地で郷土の色が反映されたお雑煮がつくられていることもまた事実です。お雑煮のように古くからその地域で伝承されてきた「郷土料理」は、気候風土や地理的条件が具材や調理方法にさまざまな形で反映されています。
その土地で暮らしていくための、先人の知恵が詰まった料理とも言えるでしょう。郷土料理を知ることは、土地の自然環境を知り、その自然とともに暮らしてきた先人たちの知恵、歴史や文化を学ぶことにもつながっていくのです。また、日本各地にさまざまな郷土料理があるということは、日本の風土の多様性を示すものとも言えるでしょう。
年が改まり、新しい気持ちで家族とともにその地方独特のお節やお雑煮を食べるという習慣が、今後もずっと残っていくように願ってやみません。
西澤千惠子(別府大学食物栄養科学部教授。専門は調理学や郷土料理。)
会報『自然保護』No.543号 2015年1・2月号より転載