2017.10.17(2019.07.08 更新)
オオルリシジミと野焼きの関係
解説読み物
専門度:
テーマ:絶滅危惧種生息環境創出
フィールド:草原
春先の野焼きが天敵を減らしていた!
オオルリシジミと野焼きの関係
人の暮らしとのかかわりの中で生きてきたオオルリシジミは今、絶滅の危機に瀕しています。安曇野のオオルリシジミ保護への鍵は、春先の野焼きにありました。
文・写真 江田慧子:帝京科学大学 こども学部学校教育学科 専任講師
安曇野オオルリシジミの現状
オオルリシジミは、瑠璃色の翅がきれいな大型のシジミチョウです。1年に一度だけ成虫が出現するチョウで、5月中旬~6月中旬に成虫が現れ産卵します。約1週間後には孵化して幼虫となり、7月から蛹として約10カ月を過ごします。幼虫はマメ科のクララという植物の蕾と花しか食べません。
そんなわがままで美しいオオルリシジミは、かつて東北や関東地方の、クララが多く生えている火山草原や明るく開けた草原、河川の土手や田畑の畦に生息していましたが、今では長野県の安曇野市、東御市、飯山市の3カ所と、九州の阿蘇地方にしか生息していません。
安曇野市のオオルリシジミは1990年ごろ絶滅したと考えられていましたが、ごくわずかに生息している場所が発見されました。94年に生息地である国営アルプスあづみの公園(以下、あづみの公園)用地内にオオルリシジミの保護区が設置され、保護団体の方々による生息地の管理と監視活動が始まりました。また、発見された自然個体群は絶滅に近い状態だったため、人工飼育した蛹を放す活動も行われました。
しかし、放した蛹から羽化した成虫は数多くの卵を産卵するものの、蛹になるまで生存する個体が少なく、次世代でほぼ全滅してしまう状態でした。そこで私は保護団体と協力し、安曇野市でオオルリシジミ回復のための研究を始めました。
卵の寄生がキーファクター
まずオオルリシジミの生存数や死亡要因を調べると、特に卵期に死亡率が高く、メアカタマゴバチという小さなハチが卵に寄生していることが明らかになりました。メアカタマゴバチは、チョウやガの仲間の卵に成虫になるまで寄生する「寄生蜂」で、寄生されたチョウなどの卵は孵化できず死んでしまいます。
そこで、野外のオオルリシジミの卵への寄生蜂の寄生率と、寄生蜂の個体数を調べました(写真3、4)。調査は、蛹を放飼しているものの次世代で全滅してしまうあづみの公園内の「保護区」と、安曇野市で唯一オオルリシジミの自然個体群が残存している「自然区」で行いました。その結果、寄生率は保護区が58・8%、自然区12・1%で(図2)、寄生蜂の個体数は自然区よりも保護区のほうが多くなりました。
このことから、あづみの公園内の保護区は寄生蜂の数が増えすぎているためにオオルリシジミの卵への寄生率が高くなり、オオルリシジミが次世代まで生き残れないことが明らかになったのです。どうにかしてメアカタマゴバチの個体数を抑えることはできないのでしょうか。
野焼き効果の検証実験
ここで私は、保護区と自然区との草地管理の違いを見直してみました。保護区は国営公園内のために春先の野焼きを行うことができませんでした。一方、自然区は定期的な野焼きと、徹底した草刈りが行われています。
そこで、春に野焼きを行うと、何かほかのチョウやガの卵の中に寄生して越冬しているメアカタマゴバチを、卵ごと焼くことができるのはないだろうかとの考えが浮かんだのです。オオルリシジミは、土の中で蛹の状態のまま春を迎えるので、軽い野焼きでは死にません。春先の野焼きがオオルリシジミの生息を支えている。そんな仮説が立てられました。
国営公園内の保護区で野焼きを行いたい。国土交通省関東地方整備局との話し合いが続きました。その結果、野焼き効果を検証するための火入れの許可をもらい、野焼きすることに成功したのです。しかし、野焼きを行った場所は20m×50mほどで、こんな少しの面積では周囲から寄生蜂が飛んできてしまい、寄生率が下がるとは考えられません。そこで野焼き直後にケージを野焼き区と非野焼き区に設置し(写真5)、外部から寄生蜂が入らないようにしました。その中にオオルリシジミの卵がついたクララの鉢植えを置いて、寄生率を調べました。
結果は予想通りで、寄生率は野焼き区は44卵の内、寄生されていたのは1卵(2・3%)のみで、41卵が孵化しました。一方、非野焼き区では33卵の内10卵(30・3%)が寄生されており、野焼き区の寄生率の方が圧倒的に低くなりました(図3)。しかも野焼き区のケージ内ではメアカタマゴバチは1個体も捕獲されなかったのです(図4)。この野焼き試験で、野焼きが寄生蜂の発生を減らし、寄生率を低下させる効果があると判断できました。
野焼き・農牧業とオオルリシジミ
ではいつごろから野焼きが行われていたか、少し信州の歴史をひも解いてみましょう。長野県には縄文時代からの野焼きがその成因であると考えられている「黒ボク土層」が広く分布しています。さらに過去のオオルリシジミの分布記録と黒ボク土層の分布はかなり重なることも明らかとなっています。平安時代の「延喜式」という書物には、朝廷に献上する馬を放牧していた牧場の半数が信濃の国に存在したという記載があります。これらのことから、長野県では縄文時代からの野焼きや古代からの放牧などによって半自然草原が維持されてきて、そのような環境にクララが生育しオオルリシジミが生息していた可能性が高いのです。
ところが江戸時代以降には水田化が大きく進み、牧場はなくなってしまいました。ではその時に牧場などの半自然草原に生息していたオオルリシジミが絶滅したかというとそうではありません。人間がオオルリシジミの食草であるクララを薬草などとして利用するために、自ら田の畦や用水路(堰※1) の土手などに植えて草刈りや野焼きを定期的に行ってきました。そのためオオルリシジミの生息環境が維持されてきたのです。しかし、1962年ごろから大規模土地改良事業が行われ、クララを含めた草原植生は喪失し、野焼きも行われなくなりました。そのため、オオルリシジミの生息できる環境が消失し、衰亡したと考えられます。
生息環境を拡大していくために
野焼き実験と安曇野の歴史を踏まえ、2009年、あづみの公園は毎年野焼きを行うことを約束してくれました。その結果、11年にオオルリシジミの自然個体群が復活したのです。研究が保護活動に結びついた結果でした。
これからはその生息地を拡大させるための研究活動が必要です。マーキング調査から、オオルリシジミの成虫が保護区に留まる割合は20%未満で、多くの個体は保護区外に分散していることが分かっています。保護区外にも生息環境が整っていなければ、オオルリシジミは増えず、絶滅に瀕する状況は変わりません。そこで、2017度以降は日本自然保護協会とも協力し※2、分布拡大のシミュレーションを行い、クララを植栽する活動を多くの人が参加できる形で行う予定です。
今後も研究を続け、多様な生物が人と共存していく新しい里地・里山や田園地域のデザインを創造し、それぞれの種特異性や地域性に合った保全方法を提案する「臨床保全」を確立していきたいと思います。