2015.04.01(2017.04.02 更新)
登山やトレイルランニング…… 個性豊かな日本の自然を賢く楽しむために。
解説
専門度:
テーマ:アウトドア・スポーツ
フィールド:山
「人法地、地法天、天法道、道法自然」・・・日本の山を「歩く」「走る」ときに、考えてほしいこと。
トレイルランニングの開催ルールが設けられる
近年、狭い登山道において多人数で競争するトレイルランニング大会の開催で、登山道やその周辺の自然環境への影響や公園利用者の安全で快適な利用の妨げになるのではとの危惧が大きくなってきたことから、環境省では「国立公園内におけるトレイルランニング大会等の取扱い(以下、取扱い)」を決定し地方事務所に通知することとしました。
今回の取扱いは、重要な自然環境での開催は原則避けること、開催にあたって主催者側にモニタリングと原状復帰の責務などを明記した内容となっています。
そもそも国立公園の公園歩道は、歩くことを想定していて、走ることを想定していませんので、何かしらのルールを設けることが必要だと思います。ですから、今回の環境省の通知は評価できるものと考えています。ただ、同時に、ルールを設けることの意味をきちんと利用者に共有しなければならないと思います。意味が伝わらなければ、歩くことと走ることの不毛な対立の解消にもつながりません。
国立公園で登山を楽しむ方もトレイルランイングを楽しむ方も、自然を愛でたい、大事にしたいという気持ちは共通だと思います。こうした自然を愛でたり大事にしたいという気持ちを持つ方々に、今回の取り扱いが必要であることの意味をしっかりと伝えなければ、ルールが浸透せず不毛な軋轢を生むことになってしまうと思います。そこで、今回の取扱いが必要であることを日本自然保護協会の視点で解説させて頂きます。まずは、日本の自然が持つ希少性と個性について皆さんに知って頂きたいと思います。
高山植物が育つ日本の山の不思議
日本の山岳域は、国立公園に指定されているところが多くあります。例えば、北アルプス(中部山岳国立公園)、南アルプス(南アルプス国立公園)などがあります。これらの山岳域では、森林限界を超えたところに美しい高山植物たちがその可憐な花を競い合うように見せてくれるお花畑もあります。しかし、この高山植物があること自体が不思議なことだ、ということをご存知でしょうか。
世界の山と比較してみましょう。ヒマラヤ山脈の最高峰は、エベレストで8850m、ヨーロッパアルプスの最高峰は、モンブランで4808mあります。これに対して日本のアルプスでは北岳(南アルプス)の3192mで、日本の最高峰は富士山の3776mで、決して高くはありません。東北以北では2000mを超えるものはほとんどありません。ですが、高山植物があります。緯度(南北の位置関係)で比較すると、ヨーロッパアルプスの北緯46度に対して日本のアルプスは北緯36度と、距離にして1000km南に位置しています。標高に換算するとおよそ1000mの違いです。つまり、ヨーロッパアルプスの3000mで起きる現象が日本アルプスでは4000mでなければ起きないということを意味しています。ですから、ヨーロッパアルプスにある現生の氷河が、日本では最近確認された北アルプスの1か所(1か所でも、あること自体奇跡ですが)しかないのです。
次に同緯度にある山脈で比較してみます。日本アルプスと同緯度にある中国のクンルン山脈では、森林ができる限界である高度「森林限界」が3600mにあります。北海道の大雪山と同じ緯度にあるテンシャン山脈では3000mに森林限界があり、これで考えると、日本の山は山頂まで森林に覆われていても不思議ではないことになります。
では、現在の日本の気候条件から、森林限界を想定してみます。森林限界付近の気候条件は、温量指数(暖かさの指数)が15度になる高度に一致すると考えられています。この条件をあてはめると、日本では、2870mに森林限界が想定できます。さらに、ハイマツ帯は3200mくらいまで生息可能となります。ですから、現在の気候条件にあてはめても、高山植物の生息環境は存在できないことになります。ところが、実際には日本アルプスでは2500m位に森林限界が存在し、ハイマツの分布はその上部に斑状に点在しています。この斑の合間に、高山植物が生息しています。
なぜ、このような分布が可能になったのでしょうか。標高3000m付近を気圧で換算すると700hpaです。この気圧面の自由大気中(上昇気流等の影響のない大気中)の風の強さは、21m/秒で、世界でも突出した値になっています(図1)。言い換えれば、世界で最も強風にさらされているということになります。これは、上空のジェット気流(偏西風)がヒマラヤ山脈を越えられず分流し、それが日本付近で集まり強くなることが原因です。
この強風の条件のために、日本の山では、「山頂現象」という特殊な現象が生じます。ジェット気流(偏西風)は西から吹き付けますので、稜線の西側では雪も吹き飛ばされます。その雪が反対側の東側に吹き溜まりを作ります。針葉樹もハイマツも生息できない厳しい環境を作るため、その隙間に高山植物の分布可能な立地ができたのです(図2)。
日本には非常に多くの雪が降ります。多くの雪が降ることで、吹き溜まりには遅くまで大量の雪が残ります。この残雪地には、「雪田群落」(雪が遅くまで残る湿った窪地にできる植生のこと)ができますが、この環境が最も脆弱な環境の一つでもあります。日本に雪が大量に降る原因は、日本海を流れる暖流である対馬海流の存在が大きく関係しています。冬にこの暖流の上を冬の季節風が吹くと、大量の水蒸気を吸い込み、これが日本列島の背骨である脊梁山脈にぶつかることで大量の雪になります。世界的にみて、これだけの雪が降るのは日本列島が南限にもなっていますので、日本特有の自然の個性ともいえます。
ちなみに、この対馬海流ですが、今から1万2000年ほど前の、最終氷期といわれる寒冷な時期には、海面低下の影響で日本海には流れ込んでいなかったと考えられています。つまり、今の多雪という条件は、1万年以降の歴史(地球の歴史ではつい最近のこと)しかないということになります。雪田群落の成立は、こうした条件が重なっていますので、この観点でも非常に貴重で脆弱と言えます。
次に、もう一つの大きな個性について考えてみます。登山道を歩いていると、ごつごつとした場所を歩いていると思ったら、すぐにザクザクしたところに変わったり、ふかふかしたところに変わったりと目まぐるしく道の様子が変わりますが、登山やトレイルランニングをされる方々はお気づきでしょうか。
日本は非常に地質(簡単に言えば岩)が非常に複雑に入り組んでいます。これは日本列島そのものの成り立ちが大きく関係しています。東日本大震災の時にプレート境界という言葉が盛んに言われましたので、プレートという言葉は耳にしたことがあると思います。このプレートについては、まず地球を卵と想像してみてください。地球の表面=プレートは卵の殻にあたります。白身がマントル、黄身が核になります。マントルは液体ですので、この液体の動きにあわせてプレートが動きます。動いたプレートがぶつかり合うところがプレート境界になります。
日本列島は4つのプレートの境界に位置しています。乱暴に言うと、中国大陸からちぎれた塊に、太平洋を旅してきた塊がぶつかってできているのが日本列島ということになります。このぶつかってできた地質を付加体といいます。これが次々にぶつかり、押し上げられ、地表に出てきているのが日本の山岳ですから、地質が非常に複雑になっています。まさに箱庭のように小さくめまぐるしく地質が変化するのは、こうしたわけがあったのです。
日本は、さまざまな条件が複雑にからみあってその自然環境を形作っていますので、当然、安定した大陸にある国立公園と同じように考えてはいけないということになります。日本の自然の個性に合わせた、登山道の在り方や、保全、利用の在り方を考える必要があります。どの条件が一つでも欠けたら、今の自然環境にはならなかったのですから、この奇跡のような島国の自然環境を保全していくにはそれ相応の慎重さと丁寧さが求められます。
国立公園の登山道の現状
では、こうした環境である国立公園の登山道がどのような状況に置かれているかを考えてみます。日本自然保護協会では、2013年3月に「日本の保護地域アトラス」を公表しました。これは、既存の保護地域の情報と保護すべき重要な自然地域や国際的な保護地域のカテゴリー等を地理情報システムを用いて、保護地域と実際の保護のされ方の差の(GAP)分析を行ったものです。
その結果、国立公園の特別保護地区や第1種特別地域のような厳正に保護されている地域だけを抽出し、合計した結果は国土のわずか3.6%で、生物多様性条約締約国会議 (CBD-COPlO)で決議された愛知タ-ゲット目標 11の「 2020年までに少なくとも陸域及び内陸水域の 17%が保護地域によって保護されていること」の目標に対して、十分に保護されているとは言いがたい現状であること明らかにしました。
この結果は、生物多様性保全の観点から重要な自然地域がすべて保護地域の中に包含されているわけではないことを示しています。また、危機に瀕した植物群落と保護地域とのGAP分析においては約半分の植物群落が保護地域に含まれていません。
つまり、現在の国立公園では、保護の対象からはずれた群落タイプを含むように保護地域の拡大あるいは再配置、地種区分の変更が必要です。今回の取扱いでは、国立公園の特別保護地区と第1種特別地域とそれに準ずる自然環境では原則回避とされていますが、現状の地種区分では、それに準ずる自然環境という部分が大きく、その判断基準が明確ではないため、実際の運用では混乱をきたすことになるのではないでしょうか。今回の取扱いの具体性や実効性を高めるためにも、地種区分の見直しを早急に行うべき現状であるといえます。
登山道などの侵食は、歩く行為であろうが走る行為であろうが、人が踏みつけることによる浸透圧の変化が大きな要因の一つです。同時に、登山道の存在そのものが自然環境に悪影響を及ぼしていることも現実にあります。例えば、尾瀬国立公園の特別保護地区である至仏山では、最も脆弱な環境を横切るように登山道が存在し、この登山道の存在そのものが、周囲の自然環境も含め悪影響を及ぼしています。
登山道は、我が国で登山の歴史が始まって以来、登りやすさや眺望の良さなどの観点で作られてきた道であり、自然公園法の歩道はこれを踏襲して位置付けられています。今後、多様な道の使われ方が想定される現状では、まず自然環境保全の観点から道そのものの評価を行い、脆弱度などの観点から道の在り方を検討しなおすことが必要だと思います。
<最後に>
老子の言葉に、「人法地、地法天、天法道、道法自然」(人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る)という言葉があります。人は大地を模範とし、大地は天を模範とし、天は道を模範とし、道はおのずからあるべき姿に従う、という意味で、一言でいえば、自然を手本にして生きるということでしょう。
日本の自然環境がもつ個性や脆弱性をしっかりと知ったうえで、人と自然とのかかわり方をしっかりと考えて行動することが大事です。「歩く」ことも「走る」ことも自然のエリアに入るということは、日本の自然の持つ個性ゆえにそれだけで影響を及ぼす行為になるのです。ですからそのことをしっかりと自覚し、おのずからあるべき姿に従うことが求められるのです。筆者自身も山によく登りますが、山に登るときにはいつも自然に対して謙虚にふるまいたいものです。
(執筆:日本自然保護協会/辻村千尋)